あこままの中学受験奮闘記

長男、次男、それぞれが東の御三家、千葉の御三家に入学、今や、それぞれが新社会人、大学2年生に。小学校入学から決めていた中学受験へ向けての親子二人三脚の奮闘記

6年の秋冬   近づいてきた「麻布」

日能研の周りの子たち、4年入塾から、「Rクラス」のメンバーの顔ぶれはほとんど変わらなかったが、男子は、上位二人ともに「開成」を第一志望にしていた。女子も、上位二人は週によって順位がかわるだけで、ほとんど同じ二人が上位にいた。彼女たちは、「桜陰」と「女子学院」が第一志望だった。ちなみに、このクラスには、「麻布」を第一志望にしている子はいなかった。

9月が淡々と過ぎ、秋になってくると、第一志望以外の併願校を考えるように言われた。通った日能研は、千葉在住の子がほとんどだったので、当然、千葉県の私立御三家=「渋幕」「東邦」「市川学園」を1月に「練習」の意味も含め、受験、それを皮切りに「都内」の学校の2月の入試に備えるパターンが大多数だった。我が家もしかり・・・で、千葉御三家は3校とも受験、ほか、他大学への進学率もめざましい「早稲田中学」、御成門という好立地にある「芝中」の併願を考えた。これには、ほとんど迷うことはなかった。

秋になり、都内の入試もnまであと半年を切り、という時期になり、新たな「センター試験」があった。「夏休み」の、あの迷い、と立て直しの結果がわかる試験だった。もう、入試に出ると思われる単元の授業は全て終わっていて、本番の内容に近い試験となっていた。「結果」が出るのは試験2日後。パソコンの画面の確認が今までにも増して、「緊張」した。「エンターキー」を押したときのドキドキ。そして・・・


初めて、「麻布」の合格可能性が、「70%」に達していた。「涙」が溢れた。長男の帰宅がこれほど待ち遠しいことはなかった。
再三「画面」を眺めていると、日能研の校舎長から、電話があった。
「やりましたねえ・・・。これで、またさらに○○君のやる気があがりますよ!大丈夫です、いけます・・・!」「油断せず、追い込んでいきましょう!」との言葉をもらった。帰宅した長男は、パソコンを覗いて、満面笑みになり、「ほらね、だから、大丈夫っていったじゃん。行くぜ、麻布!」と言い放った。「さあ、もうひと踏ん張り。いってきます」と、その日の授業に出かけて行った。「この子は・・・!」この時、初めて、「もしかしたら、本当に行けるかも」と内心思った。夫に急いで「メール」を送った。「合格70%になったよ」と。いつまでも、胸のドキドキはおさまらなかった。