あこままの中学受験奮闘記

長男、次男、それぞれが東の御三家、千葉の御三家に入学、今や、それぞれが新社会人、大学2年生に。小学校入学から決めていた中学受験へ向けての親子二人三脚の奮闘記

母親同士の付き合い、それぞれ 

話す母親同士の付き合いも学校によって違った。私にとっては、麻布の母たちとの関係のほうが「濃密」であった。
それも、麻布は毎年変わるクラスで、必ず年4,5回の「親睦会」、「ランチ会」がある。
クラス役員によるものだが、かなり頻繁に催される。
学校の場所柄、多くは学校近辺の広尾や恵比寿あたり、で開かれ、特に中1の麻布最初のクラスにおいては、卒業後も、毎年、開かれる。それは、息子たちが社会人になった現在も引き続いている。
1回、ランチで平均4000~5000円。コースが普通だ。席は、多くはくじなどで決められるので、同じクラスのお母さま方と平均してお喋りができるようになる。
時間にして、2、3時間。学年最後のランチ会には決まって「担任」が呼ばれる。先生方も気さくに出席されるので、「面談」のない代わりに、この時に、我が子の様子を聞くことができたりする。

また、私立、いろいろな地域から通学しているので、住居のある各地域の「地区会」がある。例えば私は千葉在住なので、「千葉会」に属し、実はかなりの人数がいる「千葉会」の「ランチ会」も年に数回催される。麻布は、日比谷線東横線直通という立地もあり、神奈川方面の生徒がとても多く、神奈川在住の方は、「横浜市」在住でも、「~~区」別になるほど多数いた。
「千葉会」は、人数が多い分、開催場所も豪華で、特に新入生が入る年度最初の「千葉会」ランチ会は、わが家が入学した2009年度は、「グランドプリンスホテル」の「~~の間」で行われた。
こうなると、会費は確か7000円くらいで、正直、「負担」もばかにならない。
が、同じ地区に「ママ友」ができるととても「安心」で、学校の情報も得やすくなる利点はあった。

特に最初は、高校生のお母さま方から「麻布情報」を「生の声」で聞くことができ、「貴重」な時間になることは確か。
ただ、あまりに、出費も多く、お友達もたくさんでき始めた高校1年の頃、私は千葉会の数人と一緒に地区会を脱会した。それで困ることも、何か言われることも全くなかった。
子供と同様、親も「自主自立」的なので、会にいようが、いまいが、全て「自由」、女性同士のお付き合いでもいたって「気まま」だった。

また、部活の母付き合いも盛ん。長男は、「パソコン研究会」に所属、「プログラミング」を学び、今となっては、彼の「ライフワーク」である「DJ」もこの「パー研」で培ったもの。
よく、文化祭で、小学生にパソコンゲームを体験させている、あの部である。文化祭のゲームも麻布生が作成したもの。かなり、「オタク」的な部活だが、卒業後も部活で得たものが生かされている部員が多い。
例えば「プログラミング」の腕を磨き、「システムエンジニア」の資格を得て就職したり、「ゲーム会社」から作成した「ゲーム」の内容を買われ、ゲーム会社(例えば「任天堂」)にゲームメーカーとして就職したり、と。
息子も、趣味の「DJ」でクラブでのバイトをしたり、音響の知識を生かして欲しいと認められ、「YAMAHA」に入社した。「プログラミング大会」で優勝した部員もいた。

この「パー研」の歴代「会長」は、長年にわたり、現役「東大」となっていて、「会長」なる生徒には、「無言」の「プレッシャー」が課されていた(笑)。
そんな「会長」に息子が高2でなり、「パー研」の「母の会」の主催も自動的に会長の母である私の「役目」になった。
進入生が部活を決める春5月半ばに「顔合わせ」として「ランチ会」が通例。
部活は中高一緒だったので、ここでも、「先輩お母さま」から様々な話を聞くことができる。
「会」は、同学年の仲良しママさんたちにも協力してもらいながら、お店を決め、予約し、「会のお知らせ」をメールで部員の母親全員に配信、「出欠」をとり、メニューを決め、「下見」で、「試食」・・・と大変ではあったが、とても楽しかった。
会の当日には、入り口で、会費をいただき、ご挨拶から始めて「歓談」へ・・・の流れ。
こんな「部活」・「ランチ会」が各部活の母同志で行われていた。

先輩お母さま方に、「美味しかったわ」、「楽しかった」とよろこんでいただけることは、かなりのやりがいだった。
ここでのお付き合いは子供同志も仲良しだったりするので、「濃密」になる。

息子の1年上の会長さんが、「過去初めて」「一浪」となったことで、「例のプレッシャー」からは幸い、息子は解放されることになった(笑)。


こんな感じで、麻布では、母親同士の「会」、「集い」が本当にとても多いので、自然に仲良しもでき、プライベートでもランチに行ったりとママ友との交流が盛んにおこなわれる。
学校側からの「発信」がほとんどない学校なので、集った時に「学校情報」を「共有」することは、かなり重要だった。
卒業した今でも当時のママ友とは、とても仲良くしている。

仕事を持っている方が多く、おしゃれで、小ぎれいな方が多い。皆、知的で、話題も豊富なので、「なにかと「刺激」を受けられる。

皆、とにかく「きれい」な言葉遣いで話す。
私にとっては、誰もが「お手本」だった。
これからも仲良くしていただきたい・・・。


母親同士で、「成績」の話をするのは皆無。そもそも、本当に入学と同時に
恐ろしいほど勉強しなくなるので、「成績」を気にするのはごく一部の方々のみ。良くも悪くもどこかで、「彼らはほっといてもいつかはちゃんとやるでしょう」と、息子たちを信頼していた。
ただ、「東大」を早くから目指す子は、「鉄緑会」(東大を目指す開成、麻布、桜陰、女子学院等、一部特定の私立中学の子だけ入塾可能の東大専門塾  渋谷にある)やら、SEG(こちらも開成、麻布等の子たち特定の英語塾)に中1から通塾し、まじめに勉強していた。

麻布は、こういう「勉強をまじめにこつこつ」している子でも、「とにかく遊び、不祥事も起こしてしまう」子でも、皆がそれぞれを尊重し、仲たがいすることは一切なかった。「個性」の強い子の「集団」だったが、「はみ出す子」も、悪く言われたり、仲間外れにされることは本当になかった。

母親同士もおなじで、集まっても、女性特有の「悪口」「陰口」を言う人は不思議といなかった。
皆、「気さく」に、「尊敬」しあいながらお付き合いしているというのが、きれいごとでなく事実だった。
だから、とても気楽だった。
麻布の「カラー」なんだと思う。




次男の「市川学園」もクラス役員が選出され、「ランチ会」や「親睦会」という名の「飲み会」があった。
最寄りのJR総武線の「本八幡」駅前にたくさんの居酒屋さんや飲食店があったので、これらのお店で行われることが多かった。

時に担任も出席。
次男はソフトテニス部に6年間所属していたので、私は結局、部活のお母さま方と仲良くすることが多かった。
仕事をしている方がやはり多く、なかなか時間が合わなかったが、県内、地元に住む方がおおかったので、地元の少しオシャレなイタリアンや、フレンチに出かけた。
大会があれば、出かけた。ラインで、それぞれの状況を知らせあいながら試合を見ていた。私は中2の時にクラス役員を担当したが、この時、一緒に役員をしたお母さまとは今でも仲良くしている。
一緒にランチ会の企画をしたりと、楽しい時間が流れた。

何度かある「保護者会」の中でも、年に一度、沿線別に母親が分かれて話す「保護者会」は、有意義だった。住まいが近いと、いろいろな情報を共有でき、中高6学年が一緒だったので、近所にお友達ができたりするきっかけになった。やはり、どの学校でも、「先輩ママ」の話、情報は貴重だ。
進学の話なども先輩ママの情報は、信ぴょう性があり、信じることができた。
特に「市学」は、お母さま方が、ものすごく勉強に対して「熱心」で、中学時代から、お尻を叩いて勉強させるご家庭も少なくない。「千葉御三家」にきたからには、絶対に「超難関大学へ」という意識のお母さま方がとても多かった。また、「学校側」も、特にここ数年、進学率が上がってきたため、もっともっと「国公立大学」への「現役合格者」の数を増やしたいという思い、目標から、学校全体が「進学指導」に熱心だった。
市川は、SSH(Super Science highscool)なので、「理数教育」に「力」を注ぎ、「実験」用の「白衣」も支給されるほど「実験」の授業時間が多かった。結果、息子が進学した東京理科大への進学者数は、全国1位だったりする。

高校から入学してくる「高入生」の偏差値は「70以上」と、とても優秀。中学から「先取り授業」でかなり進んだ授業を受けている生徒との差は、1年でほぼほぼ埋まるらしい。
高校2年からは、文、理系にクラスが分かれるほか、それまでの学校の成績、目指す大学により、「選抜クラス」と「一般クラス」に分かれる。

「選抜」は、いわゆる旧帝大、国公立大志望者となる。
授業内容も変わってくる。が、実際の大学入試の結果、「選抜クラス」からばかり、「超難関大」に合格しているかといえば、そうではない。

ここが、先生方、学校側の「悩める」課題のようである。
学校側は、「東大」初め「国公立大」への進学率をもっともっと伸ばしたいらしく、進路指導もその点に基づいているように思う。


市川の親はどちらかというと、「国公立志向」が多い。
学校は、「学校の授業をきちんとうけていれば十分」と必ず言うが、多くの生徒は高2あたりから「河合塾」や「駿台予備校」に通い始める。
それが現実だ。入学時にも、「学校説明会」でも、「学校の授業のみで十分、予備校費用が節約できますよ」なんて話されるが、それは、「嘘」だ。
予備校に行かない子は、ほぼいない。行き始める時期に違いがあるだけ、また、文理系で、選ぶ予備校に違いがあるというだけである。理系は、「駿台が強い」と言われていた。


毎年、市学は、早稲田大の進学、合格者が非常に多く、毎年、100人をゆうに超える。
ちなみに東大は、10数名の合格者。(これも立派な結果だと思う)
ただ、現実は「浪人」も多い。
一浪して、「早慶上理」に無事合格、のパターンが、多いように思う。


私は次男が高校1年の春に病がわかり、不幸にも長期の入院生活、自宅での「リハビリ生活」に突入してしまった。この時、保護者会等は、夫が出席してくれたが、高校の後半、全く、市学のお母さま方との交流がもてなくなってしまったことはとても残念だったし、息子にも申し訳なかったと感じている。



「麻布」「市学」どちらも、それぞれものすごく「個性」があり、どちらがどうとは決して言えない。ただ、麻布は「覚悟が必要」な学校であることは間違いない。「進路指導」も「受験のための授業」もない。
ただ、ものすごく「大人」にはなれる。修学旅行も生徒主導、不祥事連発、でも、卒業すれば、「それでも麻布が良かった」と、必ず思える。
私立中高は、それぞれに独自のからーがある。どの学校をえらぶのか、どの学校があっているのかは、つまるところは「親の選択」になる。それが、「成功」か、「失敗」かは、6年後にしかわからない・・・。