あこままの中学受験奮闘記

長男、次男、それぞれが東の御三家、千葉の御三家に入学、今や、それぞれが新社会人、大学2年生に。小学校入学から決めていた中学受験へ向けての親子二人三脚の奮闘記

1 長男の幼児期

長男は、幼児期からかなり特徴のある子供だった。

私にとっての初めての子供、切迫早産を繰り返し、妊娠期間のほとんどを病院で過ごして、大騒ぎして(痛い、痛い、と大騒ぎ、看護師さんに注意された(笑))出産した我が子。無意識のうちに、「賢い子」に育てたい・・と思っていた。
ベビーカーでのお散歩や、夫と三人で休日に出かけると、必ず、「可愛い~!」と言ってもらえる、目のくりくりっとした、しかも愛嬌のある子だった。私の亡き父からもとてもとても可愛がってもらい、よく、公園に遊びに連れていってもらったり、近所のスーパーに遊びに連れて行ってくれた。
夫の出張が多かったので、出張時は、近所の実家によく長男と泊まりに行ったりしていた。
だから、私の両親とは、幼児期から、濃密な時間を過ごし、「じいちゃん」「ばあちゃん」が大好きだった。ある時、実家に泊まりに行き、実父と入浴の最中に、息子が排水溝に指を突っ込んでしまい、かなり深く切ってしまったことがあった。すぐに近所の総合病院に連れていき、治療してもらったが、傷を縫うことになった時に痛さと怖さマックスの長男の口から出た言葉は「ばあちゃーん!!」だった。「ママ」もいたのに・・・。
言葉を話しだした2歳ころから、お話することが大好きになり、いつの時もよくお喋りするようになった。
この頃から、意識して「絵本」の読み聞かせをよくしてやった。
大きな目でじーっと絵本を見つめ、じーっと、聞き入った。
「なんでこうなるの?」「どうして?」を連発する子だった。
正直、面倒なことも多々あったが、できる限り、納得いくよう答えてやるように努めた。

この頃からベネッセコーポレーションの知育教材、「しまじろう」を定期購読するようになり(当時は本当に多くの母親たちがやっていたと思う)、月に1冊届けられる本と教材、付録に親子でとりくんだ。ビデオもついていて、簡単なお話や、数の概念を学ぶものも多かった。
工作的なものもついていて、不器用な私も懸命に、丁寧に作り上げた。
入浴を待たせている間もこのビデオがひじょうに役立った。

家の中でこの教材?に向き合うのとは別に、長男はとにかくよく外遊びをした。
近所にある緑豊かな大きな公園に毎日のように行き、公園でのお友達を沢山つくった。現在も住む自宅には、長男が1歳の春にお引越し、それから22になる現在まで住み続けている。
特に仲良しになった女の子とは、毎日のように公園で遊び、それぞれのお家にも遊びに行ったり、外出したりした。私もいわゆる「ママ友」を作り、楽しく育児していた。
休日には、夫と三人で、割と近くにある、今世間で大人気の「船橋アンデルセン公園」に度々でかけた。ここは、広大な敷地に巨大なアスレチックが多数作られ、ダイナミックコース、ファミリーコース、などと、難易度によってコースが作られていた。大学でスキー部だった、もともと運動神経の良い夫は自分も実際に長男と一緒にアスレチックに挑み、かなり小さなころから難易度の高いアスレチックに長男を挑戦させ、身体を使った遊びに熱中させた。運動神経の悪い私は常に側で見ているだけだったが、長男は、夫と、難しいアスレチックに挑み、やり遂げていた。「無理では?」と思うようなものでも、果敢に挑戦させ、「難しくてもやればできる」ことを身をもって体験させていた。このような、屋外での身体を使っての運動、挑戦、達成させる経験はとても大切なものとなった。



長男が2歳少しの頃、私は次男を妊娠した。段々お腹が大きくなる私のお腹を優しくさすってくれることもあれば、わざとお腹に「パンチ」してくることもあった。お腹のなかにいる「赤ちゃん」への嫉妬だろう。

近所に、「どんぐり公園」という特に遊具もなにもない公園があった。夏の終わりにはきもちわるくなるほどのセミの抜け殻を拾った。
秋には、実父と三輪車で公園に行き、やまのようにどんぐりを拾ってきた(後に虫が湧き、とんでもないことになったりした)
また、黄色に色づいたたくさんのイチョウの落ち葉を踏みしめながら、「落ち葉のじゅうたん」と表現した。このころから、私は、長男を「感受性豊かな子」だと思った。


3歳を迎える2日前に弟が生まれた。ベッドの脇に眠る
「赤ちゃん」を、「かわいいねえ」となでていた。この頃、入園が決まっていた幼稚園の体験入園などに行っていたが、割とすぐに誰とでも仲良くなれる子だったので、体験入園も楽しみ、問題なく過ごせそうだった。
2000年の春、4月に3年保育で幼稚園に入園した。あんなに、楽しそうに体験入園をこなしていたのに、実際に入園するとすんなりとはいかなかった。とにかく、当時の担任の先生にべったりで、先生の服の裾をいつも引っ張ってくっついて歩いていた。園の脇の道路から柵越しに、様子を見に行ったりしたが、本当に、いつも担任にくっついていた。
家の近くにバス停があったので、近所の1つ上の子と幼稚園バスに乗せていたが、ある時、バス停に向かう途中で、長男が、「○○(弟の名)くんはいいよね、ママとずっといつも一緒で。なんで、○○くん(自分の名)だけ、幼稚園に毎日行かなきゃいけないの?」と聞いてきた。はっとした。次男が生まれてから、当たり前に私は、赤ん坊の次男につきっきりで、長男の気持ちに寄り添っていなかったのかもしれない。だから、園で担任に甘えているんだ‥寂しかったね・・・と当たり前のことに気づいた。それまでは、「ママ」を独占していたわけだから、子供にとっては、取られてしまったという意識になったんだろう。
時に、「お兄ちゃんなんだから!」というよく使う言葉を言ってしまった時には、「好きでお兄ちゃんになったわけじゃない、ちょっと先に生まれただけじゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃんって言わないで!」と言い返された。
こうして、長男の気持ちを、長男本人の声から気づかされ、いろいろ気をつけなきゃと、私なりに気遣うようになっていった。お兄ちゃんも大変なのだ(笑)。
その後、園でのお友達もでき始め、園そのものにも慣れた長男は、日々楽しく幼稚園生活を送れるようになり、担任にべったり・・・の時期もわずかの期間で終わった。幼稚園に関しては何も心配することはなくなっていた。


当時、幼稚園の周りの子たちは、それぞれ、様々な「習い事」をしていた。男の子は、圧倒的に、「スイミング」と「サッカー」が多く、園の中でも保育時間後にどこからかコーチが来て、サッカーの練習をしていた。
長男は、運動神経は良かったが、「サッカー」には、まるで興味を示さなかった。お友達のママに勧められて、一度、園の終了後に「サッカー」の練習に参加させたことがあったが、あまり乗り気でもなく、楽しいとは一言も言わなかったので、「サッカー」を習い事のひとつに入れることはなかった。
「習い事」に関してはいろいろな考え方があると思うが、私は、基本的に、本人が興味を持つもの、好きなもの、好きなことを、させればいいと考えていた。できれば、長く続けられて、何かを達成できるようになるものが良いと考えていた。
「スイミング」も体験したが、当時、バタ足で泳ぐこともなんとなくできていたし、親子でプールに行く機会も多かったので、「パパに教えてもらえばいい」という本人の意識を尊重し、スイミングに通うこともなかった。
そんなわけで、年中の中頃までは、特に習い事はなにもせずにひたすら、園のお友達と遊んですごしていた。
ある日、長男本人が「お絵描き」を習いたい、と言い出した。小さい頃から、スケッチブックや画用紙にお絵描きすることが大好きで、家でひとりになると、お絵描きをよくしていた。絵具を塗ることも好きだった。
本人が習いたいと、自ら言い出したので、これは!!と思い、近所で「お絵描き教室」を探した。周りにお絵描きを習っている子などいなかったので、なかなか情報がなかった。ネットなどで調べ、近所のママ友の情報から、ご夫婦で「お絵描き教室」を主催しyているお教室をみつけた。自転車に乗って、体験しに出かけた。
広いスペースで、自由に課題にとりくんでいた。初回は「なんでもいいから、思いついたものを描いてごらん」といわれ、大きな画用紙に鉛筆で下書きをした。長男は、草花と、大きな時計の混在した絵を描いた。私にはなんだかよくわからなかったけれど、先生から、「おもしろい才能ありますよ。是非きてください」と言われ(営業トーク、お世辞に決まってる)、本人もまんざらではない顔をし、「来週からきます!」と答えていた。
「お絵描き教室にいくよ」と、半ば自分で決め、親としても、異論はなかったので、通わせてみることにした。
これは、幼稚園の年中クラスの後半、4歳から5歳にかけての頃だったと思う。