あこままの中学受験奮闘記

長男、次男、それぞれが東の御三家、千葉の御三家に入学、今や、それぞれが新社会人、大学2年生に。小学校入学から決めていた中学受験へ向けての親子二人三脚の奮闘記

2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

秋、冬  近づく入試

6年の夏が終わり、日に日に「入試」へ近づく日々を実感、「塾」では、夏が終わるとすぐに、「冬期講習」の申し込み開始。なんだか、「気」ばかり急いてしまい、落ち着かぬ日々のスタートだった。 秋には、何度となく「模試」が繰り返され、否応なく、「志望…

6年夏休み  「息切れ」

「夏休み」は、午後から講習。午前中は、講習の復習や予習にあて、早めの昼ご飯を食べて、講習にむかった。数週間続くので、夏休み前から「天王山」と分かってはいても、暑い夏の日々、過酷な毎日となる。 初めはよかったものの、段々疲れも出て、後半、「集…

6年  「早稲田日特」

やや成績を上げ、気分良く6年を迎えた。この頃からお世話になった校舎長が別の方に変わり、スタッフも異動などで、大きくかわってしまった。 6年も「出だし」は無事「Rクラス」で。3年間、別のクラスに落ちることなく、同じメンバーの「Rクラス」で過ごす…

50台後半からの偏差値アップ

5年生後半、学習内容もかなり難しくなってきたものの、「算数」だけは、偏差値も唯一「60」を超え、完全な得意科目に。これは、次男の「強み」だった。「文章題」の解き方も「記述」もマスター、長男でかなり苦戦した「算数」がスムーズに得点できることは…

5年生   「早稲田への思い」「志望校」

成績は「現状維持」のまま、5年を迎えた。4年生の10月に「早稲田中学校 高校」の文化祭に出かけた。ここで、次男は、初めて、「この学校に通いたい」と自ら感じたらしく、「早稲田にを第一志望校にしたい」と言い出した。自分から言い出したものをどうく…

「兄へのコンプレックス、葛藤」

「同性の兄弟」だと、いろいろなことで、比較されてしまうことが多かった。親は気にしていなくても、周りは何かと言ったりする。その一言が言われた本人を大きく傷つけてしまうこともある。 次男の場合、学校も塾も「兄」と一緒だったがゆえに、いつも、どん…

「日能研  3年」の授業  学校

「日能研」の小3の授業。「受験勉強に突入する前に基礎学力をしっかりと身につけましょう」が基本方針。2科目だったので、それほど大変ではなかったが、「漢字」と「計算」の基礎力を徹底的に鍛える時間が多かった。 「国語」では、「要旨」のまとめ方、や…

兄の影響

次男は、お兄ちゃんの影響で、幼稚園の頃から「ゲーム」三昧。ここは、「下の子」と「上の子」の大きな環境の違いだ。長男も小学校以前からゲームは大好き、小学校入学でより「加熱」した。 ゲームがあるから、読書もあまりせず、・・・という状況は、否めな…

二回目  「次男」の中学受験

我が家の「次男」は、長男よりも3歳年下。 騒がしかった長男とはまるで違い、赤ちゃんのころは、とても穏やかで、静かな子だった。「次男」のせいか、育児にも若干慣れ、長男の時よりは「手抜き」も覚え、割と気楽に育児していた。公園で、一生懸命にママ友…

麻布卒業→慶応義塾へ→就職  いま思うこと

長男は麻布の生活を6年間満喫。私もかけがえのない「ママ友」ができ、母としても充実の6年間。 2015年に卒業した時にPTA会報に「麻布について」の文章を載せてもらった。以下、「麻布」のことが、すこしでもわかる「麻布OBの母から見た麻布」を。 【都…

「卒業」・「麻布入学式」

小学校の担任は、自分のことのようによろこんでくれ、「自慢の生徒」と言ってくれた。 学校では、中学受験の話はあまりしてこなかったが、「合格」したことは、どこからか聞きつけ、卒業式では、「おめでとう」とやたら言われた。が、この地域では「麻布」を…

麻布入試本番  渋幕2次   早稲田  さあどうなる??

渋幕1次の不合格後ももちろん日能研に通常通り通った。「Rクラス」の受験者(渋幕の)はほとんどの子が合格を決めていて、その状態に初めて少し、焦ったようだ。 が、やはり、本番は皆2月1日。「体調」にだけ気を付け、いつも通りに過ごさせた。 ぎりぎり…

2009年1月   千葉御三家入試本番!!

いよいよ年が明け、2009年。大晦日、元日は冬期講習も唯一お休みだったので、例年通り過ごし、私の実家へと出かけた。お正月くらいはね・・・と言いながら、勉強も一休み、ゆっくり過ごした。が、もう2日からは講習再開だった。 学校では、クラスに男子…

6年  追い込み

「センター」でいい結果が出てから、モチベーションがあがったのか、以前にも増して、懸命に勉強するようになった。 ここから、息子の成績はぐんぐん伸びていった。6年の10月頃から、入試直前まで、いい調子で、偏差があがっていった。それまでの「伸び悩み…

6年の秋冬   近づいてきた「麻布」

日能研の周りの子たち、4年入塾から、「Rクラス」のメンバーの顔ぶれはほとんど変わらなかったが、男子は、上位二人ともに「開成」を第一志望にしていた。女子も、上位二人は週によって順位がかわるだけで、ほとんど同じ二人が上位にいた。彼女たちは、「桜…

6年   「麻布への道のり」 2

「麻布」の入試問題には「特徴」があり、とにかく、国語も算数も、理科も社会も「記述」を徹底的にさせる問題が他の学校よりも圧倒的に多かった。これは、入学してわかることだが、「麻布」は、とにかく、中高校の授業において、「書かせる」のだ。だから、…

6年   「麻布への道のり」1

いよいよ6年を迎え、あと「1年もしないで、入試がやってくる」と、親にも子にも話があった。6年の教材を受け取り、改めて気落ちが引き締まった。「絶対に合格!させないと」と、まるで自分の受験のように気持ちが高また。しかし、振り返ると、本当に親子で…

小5から6年へ   「麻布日特」   

日能研に通い始めて1年。あっという間だった。あっという間に5年になり、日能研も週3日くらいになった。この頃から夕方から、夜の9時くらいまでの授業になり、夕飯は、塾で食べる、いわゆる「塾弁」をもっていくようになった。 塾で食べる「お弁当」であ…

日能研の仲間、ライバル

息子は、日能研において、「Rクラス」からクラスを落ちたことは結局3年間一度もなかった。成績上位の子たちの顔ぶれも結局3年間変わることはなかった。これは、男子も女子も同じだった。 日能研は、教室での座席位置も前の週の「カリテ」の成績順で、端から…

学校の友達、ママ友、授業

息子は学校の友達ともよく遊んでいた。が、日能研が始まり、現実的になかなか周りのお友達と時間が合わなくなり、放課後に遊びに行く時間は劇的に減っていった。でも、そのことに対して、文句をいうこともなく、塾を休むこともほとんどなかった。 ただ、周り…

4年生  受験勉強のスタート

小3の終わりに、「日能研」の入塾試験を受けた。当然、受験勉強開始なわけだから、「成績」によってクラスが分けられた。当時、麻布の入試は、国算理社の4科目だったので、4科目の受講を希望した。 その時点では、理社に関しては、学校以外では何も勉強し…

リトルスクール最後の1年間 そして4年へ

小3の「リトル」は、親も少しずつ「受験」を意識しだし、子供の終了を待つ間、なんとなく「受験」の話をするようになってきていた。親が待つロビー一面に貼りだされたその年の各中学への合格者の名札。あと、3年後に、自分の子供の名は果たして貼りだされ…

小3春   「中学受験」の意味、「文化祭」

小3を迎えようとしていた頃、「中学受験」について、細かく、きちんと話をした。 我々両親の考え、希望を伝え、中学入試を受け、学力的にレベルの高い中学校に進学することの意味、必要性を話した。長男本人は、特に驚きもせず、嫌がりもせず、「ふうーん」…

リトルスクール時代   2

小学校に入学し、1年生の授業が始まった。今の時代、入学時に、1年生でも、五十音が書けたり、数字が100までかけたり、足し算ができたりするのは、なんら特別なことではない。でも、それが、その後の学力に関係してるかといえば、必ずしもそうではないと思…

リトルスクール時代

そこで、四ツ谷大塚の「リトルスクール」の体験に出かけた。少人数、10人くらいの授業。確か、「算数」の授業で、足し算を学ぶ段階だった。我が家では、特に何も教えてはいなかった。が、元気にたくさんのお友達が発言し、楽しく授業を受け、帰宅途中、「…

長男   年長時代~「四谷大塚・.リトルスクール」~知能指数

ということで、長男の「習い事」は、本人から習いたいと言い出した「お絵描き」だけだった。が、年長も後半になったあたりに、当時の園長先生に言われたことがあった~私は、年長の時に、クラスの役員をしていた関係で直接、園長と話す機会が多かった~。「…

1 長男の幼児期

長男は、幼児期からかなり特徴のある子供だった。私にとっての初めての子供、切迫早産を繰り返し、妊娠期間のほとんどを病院で過ごして、大騒ぎして(痛い、痛い、と大騒ぎ、看護師さんに注意された(笑))出産した我が子。無意識のうちに、「賢い子」に育…

思い出

始めまして、あこままです。私にはふたりの息子がいます。私が住むのは、千葉県船橋市。都心まで1時間弱で通えるいわゆるベッドタウン。事実、私の夫も東京のど真ん中、大手町に通う会社員。 船橋市も広いけれど、私が住む地域は、スポーツ推奨の地域で、い…