あこままの中学受験奮闘記

長男、次男、それぞれが東の御三家、千葉の御三家に入学、今や、それぞれが新社会人、大学2年生に。小学校入学から決めていた中学受験へ向けての親子二人三脚の奮闘記

リトルスクール時代


そこで、四ツ谷大塚の「リトルスクール」の体験に出かけた。少人数、10人くらいの授業。確か、「算数」の授業で、足し算を学ぶ段階だった。我が家では、特に何も教えてはいなかった。が、元気にたくさんのお友達が発言し、楽しく授業を受け、帰宅途中、「ママ、ここなら、たくさんのことが覚えられるよ」と言った。「通ってみる?」と聞くと、「また、来たいなあ。あの先生のお話、面白かったし」と答えた。
通わせてみようと即思った。
楽しく学べるならそれに越したことはない、四谷大塚、間違いないと感じた。
が、入塾には試験があった。まだ、その時点では、幼稚園の年長だったが、夫とも相談して、入塾試験を受けさせてみることにした。当時の「リトルスクール」は、年長、小1、小2、小3と言っても、成績順にクラスが分かれていた。「Sクラス」と、普通のクラス。Sは、たぶんSpecialのS。
我が子の成績など何かで計ったこともそれまではなかったので、とりあえず、ひとつの何らかの目安になるとおもった。
いわゆる小学校受験等でだされるような、左右同じ図形を探すとか、たくさん並んだ文字から1文字違う文字を探すとか、間違い探しとかそんなものだったような気がする。なので、「成績」といってもおかしな話だが、とにかく優劣は良くも悪くもつけられた。
長男は「Sクラス」になった。たかだか幼稚園児の知育テストのようなものであったが、なんだか嬉しかった。本人もとても喜んだ。
当時は年中から続けていた「お絵描き教室」にまだ通っていたが、この塾の日程と重なってしまうので、本人も納得の上、お絵描きは辞めることにした。これで、小学校入学時からの学習準備が良い形で整ったと感じていた。


というわけで、長男は、幼稚園の年長の卒園間際、1月頃から四谷大塚のリトルスクールに通うようになった。
ここは、週に1回の授業。基本、国語と算数の2科目の授業が行われた。プリントを使用し、「考えること」を重視した内容で、算数でも、回答の重視ではなく、「なぜ」「どうして」を自ら説明できるように・・・というのが、目標で、クラスの子たちの前で、自分の意見が話せることも大事だった。この授業の進め方が、私はとても気に入っていた。「理屈が話せる」ということがとても大事だと思っていた。そして、私の教育方針(そんな大げさなものではないが)とも合致していた。「いやなことはいやと言う」「自分の考えをきちんと話せる、たとえ、人と考えが違ってもそれはまちがいではない」と常に言ってきたので、「自分の考えを自分の言葉で話す」力を強化してくれる授業には大いに賛同できた。本人もとても楽しみながら取り組み、入学前に、一応の足し算、引き算の概念は理解していたように思う。

小学校に入学し、リトルスクールの勉強も、「勉強」らしくなってきた。

学校の授業よりも当然進んだことを先取りで学んでいたが、長男本人には、「とにかく、学校の先生の授業は、きちんと聞きなさい」と、口酸っぱく言った。これは、受験勉強が進んだ高学年になってもである。



世の中、学問がないと困ることは現実的にたくさんある。「勉強ができなくたって、世の中渡っていける」、「頭の良し悪しは、学問的なことでははかれない」    確かにそうである。
でも、「きれいごと」でもある。いわゆる「いい大学」を出て、「一流企業」にに入って・・・それだって、間違いなく幸せはつかめる。世間的には高年収を得て、世界を相手に大きな仕事をするには、大企業でしかできないことだってある。子供の将来を親として考えた時、どんな人生でも選べる「選択肢」の広がる人生にしてやりたい、と思うのは、至極当然だと思う。そのためには、「学歴」はやはり、必要なのである。
より良い環境で、レベルの高い教育を受けることは、子供にとって絶対に大事な「財産」になる。
「学歴社会」の日本で、高学歴をもつことは、生きていくうえで得になるにきまっている。サラリーマン家庭の我が家において、巨大な富をもつわけでもなく、資産があるわけでもない・・・だとしたら、子供に残してやれるのは「質の良い教育」と、「学歴」しかないのである・・・。だからこそ、「きれいごと」なんかではなく、少しでもレベルの高いといわれる「大学」を目指し、そこに到達できる力をつけてやるのは、親としての「義務」だとおもっている。これは、夫婦共通の意識であり、考えだった。
だから、教育レベルの教育意識の低い地元にずっといたら、それは、叶わない、と思い、中学受験を決めた。という経緯がある。地元の方々には語弊があるかもしれず、申し訳ないが…。