あこままの中学受験奮闘記

長男、次男、それぞれが東の御三家、千葉の御三家に入学、今や、それぞれが新社会人、大学2年生に。小学校入学から決めていた中学受験へ向けての親子二人三脚の奮闘記

リトルスクール時代   2

小学校に入学し、1年生の授業が始まった。今の時代、入学時に、1年生でも、五十音が書けたり、数字が100までかけたり、足し算ができたりするのは、なんら特別なことではない。でも、それが、その後の学力に関係してるかといえば、必ずしもそうではないと思う。学校の授業に、すんなり入れるだけのことであると思う。

リトルスクールには楽しく通えていて、週に一度平均10枚程度渡されるプリントを丁寧にこなしていった。もちろん、まだまだ、自分ではなかなか学習できないので、私が、宿題、復習をこなせるよう、そばについてみてやっていた。これは、受験勉強を始めた中学年まで続けたが、必ず重視したのが、漢字の「書き取り」である。
「漢字」は、とにかく、何度も何度も書かせ、覚えていくしかない。プリント1枚、漢字問題集1ページが終わると、私が、必ず、「見直し」(きちんと覚えたかどうかの確認)をしていた。
見直しは、もう、その辺にある紙でいいので、私が書くべき漢字を口頭で言い、息子が紙にどんどん書いていくというやり方でやった。
間違えたら、プリント等にチェックし、再度、何度も練習させ、最後の最後にまた、間違えた漢字を書かせた。「漢字」には、必ず、「意味」があるから、単語の意味をきちんと分かっていればおのずとちゃんと書けるはず」と再三言っていた。なので、「漢字を書く時は、まず意味を考えなさい」と話した。例えば、ものすごく簡単な例だが、「削除」は、「いらないものをけずって、とりのぞくこと」という意味がわかっていれば、けずるの「削」とのぞくの「除」を合わせれば「削除」になる・・・というふうに。これは、長男曰く、「とっても理にかなっていて超わかりやすかった」らしい。ただただ丸暗記するよりも、頭を使いながら漢字も覚えていく・・ということを重視した。これは、後に学ぶ「同音異義語」などで、大変役立ったようである。

いまは、低学年から「タブレット」を使ったり、ネットを開けばなんでもわかる世の中だが、私は、息子たちふたりには、勉強において、とにかく「書く」ことをしつこくさせた。
何を覚えるにしても「自分の手で、書いて覚える、手を動かしなさい」を何度となく言っていた。

プリントや、教科書、テキストをただ赤線をひっぱりながら、ぼーーっと眺めていても、何も覚えられっこない、時間の無駄だ。


「リトル」の「国語」の授業で、息子が大変好きだったのが、「お話作り」。シーンごとに切り取られた「文章」や「絵」を読みながら、見ながら、それらを並び替えてストーリーを作り上げる。
ひとつひとつの文章を「説明」できる(これは○○の時の様子、とか)ことも重要で、ストーリーが、今後どのように展開するかを推測して、お話を作っていく・・・
「描写」の「説明」に、「だれがどうした」の主語・述語を作ることで、「文章力」を養う。
「最初に」、「次に」、「最後に」などを使って、「接続詞」の学習をする。
「接続詞」からくみとり、物事の「順番」を考えるとか、逆に、「順番」から、あてはまる「接続詞」を考えるとか、いろいろなパターンで学習。
登場人物や、情景描写から、「単語」「形容詞」を豊富に覚えていく。



「ひらがな」の学習も単に「文字」を覚えるのではなく、一文字大きく書かせたら、その文字から始まる「名前」「単語」を考えさせる   例えば、て→「てがみ」「てんとうむし」「てちょう」「てのひら」などなど・・・

こうして、「語彙量」を増やしていく。


単にプリントをこなすだけでなく、楽しく、「自分で考える」ことを重視したこれらの授業、学習法には、とても意味があり、意義があったと今でも感謝。「リトル」に通わせて本当に良かったと感じている。


「国語」は、長男の好きな科目だった。好きなものは一生懸命に取り組む、誰もがそうだが。だから、「国語」の成績は低学年の頃からよかった。
「音読」も家庭学習でよくさせた。「声に出す」ことで、理解が深まったり、ということはよくあったような気がする。また、長男は、低学年、中学年時代は、本当に「読書」が好きだった。
小学校に上がり、自分でどんどん読めるようになると、私の「読み聞かせ」よりも、自分で読むほうがどんどん楽しくなったようで、いちいち言わなくとも、まずは、家にある「本」をどんどん読むようになっていった。
やはり、「読書量」は、「国語」学習においてはとても大切な気がする。

「算数」は、やはり、「計算力」をリトルスクールでも何よりも重視、当時流行っていた「百マス計算」をひたすらやらせていた。「家庭学習」でも計算は沢山させた。
あとは、「算数」も、結局は「国語力」。複雑な問題の意味がわからないと、解くに解けない。これは、中学年以降、本格的に中学受験の勉強に移行し、算数の問題がかなり難しくなってきた時には実感する。
また、よくいわれることではあるが、「図形」の認識、理解に、幼少期によくやるあの「レゴ」が役立つのは本当だ。ブロックを通して、「空間意識」「その裏にいくつのブロックがあるか」などを考える際に、自分の手で積み上げたブロックの記憶は重要であったと思われる。やはり、「遊び」の中から「学ぶ」ことも山のようにあるのである。「幼少期は、遊ばせなきゃだめだ」。




数か月に一度、クラスの入れ替えテストがあった。
それまで学んだ内容の理解度を確認するうえでも重要な試験だった。
試験に向けての特別な勉強はほとんどしなかった。が、この頃から、リトルスクールの復習がとてもたいせつなことは、長男も理解していた。基本、リトルスクールは、プリントなので、「予習」の必要はないといわれていて、
「復習」に時間を費やすよう、親も言われていた。
なので、授業を受けたその日のうちに、2科目の復習は必ずするよう、私も息子もこころがけた。
その「復習」をしっかりやることが「テスト」勉強になっていた。

前記した「Sクラス」は、授業の内容も少し高度だったので、「理解できない」学力の子は、クラスにとどまるのも難しかった。授業参観もあったが、授業内で、「国語」も「算数」も、「自分がこう思うから、この答を選ぶ」ということを「自分の口」で、「自分の言葉」で言えない子には、かなり辛かったと思う。しかし、これらを話せることが、本来、とてもとても大事で、皆、本当によく、上手に自分の意見や考えをのべていて、びっくりした記憶がある。
ここで、頭を使って、「考える」ことを学んだと思う。問題を解くうえで、「解答」の正誤ももちろん大事だが、どうしてその「解答」がでてきたかのプロセスを人に話せる、自分で理解できていることは、本当に大切だ。子供の「思考力」を育てる本当に良い授業だったと今でも思う。長男本人も「リトル」の授業は気にいっていて、お休みすることはほとんどなかった。


小学校の周りのお友達は、「公文」や「学研」に通っている子がとても多かった。
が、長男は、幼少の頃から、「周りのことは気にしない」、「ぼくはぼく」、「我関せず」・・・という子供だったので、自分が低学年から進学塾にかよっていることに何ら疑問も持たずにいたし、「周りの子と同じ」であることを特に求める子ではなかったし、
周りのお友達の勉強の出来、不出来も一向に気にすることはなかった。


このリトルスクールに通った4年間、結局、長男は「Sクラス」を落ちることは一度もなかった。「勉強ができる子っていっぱいいるんだねえ」と、同じSクラスの友達の優秀さもきちんと理解し、認めていた長男は、子供なりの「自信」と「プライド」をこの頃から芽生えさせていたんだろうと思う。