あこままの中学受験奮闘記

長男、次男、それぞれが東の御三家、千葉の御三家に入学、今や、それぞれが新社会人、大学2年生に。小学校入学から決めていた中学受験へ向けての親子二人三脚の奮闘記

4年生  受験勉強のスタート

小3の終わりに、「日能研」の入塾試験を受けた。当然、受験勉強開始なわけだから、「成績」によってクラスが分けられた。当時、麻布の入試は、国算理社の4科目だったので、4科目の受講を希望した。
その時点では、理社に関しては、学校以外では何も勉強していない状況だった。日能研の場合、もうはっきりと偏差値でクラス分けがされ、逆にすっきりしていた。4科目の偏差が60以上が「Rクラス」といわれるクラスだった。
このRは、たぶん、「radiant(上級)」のRではないかと思われる。
少なくともこのクラスに入れないと、麻布なんて夢のまた夢だ・・と思っていた。息子もその辺はよく理解していた。理社の点数がとれないのでは?とおもっていたので、心配だったが、何とか無事、この「Rクラス」への切符を手に入れ、日能研での受験勉強を「期待」できる形でスタートさせた。


入塾に際して、親への「説明会」があった。沢山のテキストを配られ、あの青色のNバッグ(日能研に通う子が通塾に背負う青色のイニシャルNが背中部分に大きくついた日能研バッグ)を渡された。
そこでは、津田沼校舎の校舎長から、「どんなに優秀なお子さんでも、たかだか小学生、中学入試には「親」特に「母親」の協力、サポートが必須です、「親子二人三脚」を頑張らないとだめですよ」、という話がまずされた。
この頃私は、自宅で、大好きな「英語」をECCジュニアのホームティーチャー「英会話講師」として教える仕事をしていた。割と大変ではあったが、息子の「麻布合格」につながることであるなら、「やるしかない、頑張るぞ、あの子を絶対に麻布に合格させるぞ」という強い気持ちになっていた。


クラスには、それぞれ、「担任」がいて、親も子もなんでも相談できるシステムになっていた。また、日能研を卒業し、大学生になった学生のバイト「ピアサポーター」くんたちも、子供たちの相談に乗ってくれた。
まっさらな数冊のテキストを見て、息子はすっかり「やる気」になっていた。


これから、大変な毎日が始まるぞと自分に言い聞かせていた。
「国語」「算数」に関しては今までと変わることはなかった。やはり、「とにかく復習が大事」ということを口酸っぱく言われた。

日能研では、毎週、土曜日にその週に学んだ内容の振り返り、どれくらい、きちんと身になっているかを試す「カリキュラムテスト」(通称「カリテ」)が必ずあった。このテストによって自分の到達度もわかり、また、このテストで、著しく低い点数を取ってしまうと容赦なく、クラスも落とされた(逆に下のクラスの子も高得点をとれば、上のクラスに上がることができた)。なので、どうしてもカリテの点数に一喜一憂してしまった。
塾側は、点数よりも、「間違い直し」、「理解できていない項目の見直し」に力を注いで…と言っていたが。「解答」は、テスト直後に渡されるので、帰宅後すぐに「答え合わせ」、「間違い直し」をする・・・は、日能研に通った3年間の習慣だった。「国語」では「漢字」、「算数」では「計算」問題を間違えることは致命的と叩き込まれ、これらで点数を落とすのは一番やってはいけないこと、とされた。
また、「同じ間違いを二度としない」が大事で、とにかく、なぜ、間違えたのか、を徹底的に本人に確認させた。
また、「間違いノート」を作り、私が、間違った問題を縮小コピーし、ノートに貼り付け、本人に、丁寧に正答を書かせた。
それ以降、試験前には、余計な問題集や、テキストを見る必要はなくなり、この「間違いノート」をひたすら見返せばいいようになっていった。

相変わらず、「漢字」の書き取りは4年でも続けていた。ほとんどを自分で、勉強できるようになっていたが、4年から始まった「社会」もサポートしてやった。
「社会」は、「暗記科目」なので、その「暗記」を確認することを付き合っていた。
日能研は、テキストがあったが、担当講師によっては、独自の「プリント」が渡され、「余計なことは覚える必要ないから」と指導されていた。が、基本的なことは、まず「テキスト」から始め、その後、プリントを集中しておぼえるようにしていた。基本的な事柄を、わかりやすく大きな紙に書き、息子がノートを作っていった。
我が家は、「書きながら覚える」ことを私が勧めていたので、特に社会はノートに事柄をまとめて書き、暗記していった。大まかな内容をノートにまとめてから、プリントの暗記に移行した。
その「暗記すべき事柄」っを和足が口頭で質問し、答えさせる・・・を何度も繰り返した。口に出して答えると、音読するのと同じ効果があるようで、よく覚えることができた。
また、「特に覚えられない事柄」は、それだけを紙に書きだし、トイレの壁に貼り付けた。便座に座ると、嫌でも目に入ってくるので、効果があった。
私もその事柄をトイレで目にするので、時折聞いてやることができた。
「社会」は特に、授業での「先生の言葉」「雑談のなかにある言葉」を聞き漏らさぬよう話した。そしてそれをプリントやテキストにメモって、自分のノートに書きだすように話した。カラーペンで線を引くことよりも、蛍光ペンでマーキングするよりも、「先生の一言」のほうがずっと大事だと伝えた。それを聞き逃さぬように授業に集中するようにといった。長男は、「暗記」が得意だったので、授業中に、大まかなことは大体覚えてきてしまっていた。それが、効率よく勉強できる鍵となっていた。

「国語」は、「漢字」のほかにも、「長文読解」の「長文」を読ませ、まず、「段落分け」をさせたり、「指示語」の示す言葉を説明させたり・・というような簡単な基本的なことをまずは見てやっていた。
幸い、私も国語は嫌いでも、苦手でもなかったので、一緒に長文を楽しみながら読んでみていた。

「算数」も、段々難しくなり、理数が大の苦手な私には、ちんぷんかんぷんな問題ばかりが増えてきた。間違ったことを教えてもいけないので、この頃から「算数」は、「理系」出身の「父親」の担当になった。
どちらかというと、長男は、私に似てしまったのか、「算数」は「国語」に比べると苦手だった。この先、入試まで、彼の「課題」は、「算数」となった。男子は「算数」が得意な子が多く、特に難関男子校は、「算数」を大得意とする男子が多数受験してくるので、6年の最後まで、「算数」との格闘は続いた。