あこままの中学受験奮闘記

長男、次男、それぞれが東の御三家、千葉の御三家に入学、今や、それぞれが新社会人、大学2年生に。小学校入学から決めていた中学受験へ向けての親子二人三脚の奮闘記

リトルスクール最後の1年間 そして4年へ

小3の「リトル」は、親も少しずつ「受験」を意識しだし、子供の終了を待つ間、なんとなく「受験」の話をするようになってきていた。親が待つロビー一面に貼りだされたその年の各中学への合格者の名札。

あと、3年後に、自分の子供の名は果たして貼りだされるのだろうかと思いながら見つめるようになっていた。
3年生の1年間も、ペースを落とすことなく、ずっと「Sクラス」であり続けた。この時点では、順調に進んでいた。
どの進学塾でも、小4から本格的に受験勉強の授業が始まる。「リトル」の四谷大塚も例外ではなかった。4年からの授業の見学や、授業内容の案内が頻繁にされるようになった。この時点で、息子の気持ちの通り、「麻布」を第一志望にすることは、夫婦の間でも、「暗黙の了解」になっていた。じゃあ、どうするか・・・。「麻布」へ合格させるためには、「麻布」合格のノウハウを確立している塾、合格者を実際に沢山輩出している塾に通わさなければ、と考えた。当時、「開成」「麻布」「武蔵」が男子の「御三家」で、女子の「御三家」と共に合格者を圧倒的に多数出している塾は、「SAPIX」だった。難関校への合格者の数がずば抜けていた。だが、「体験」に行くと、「気に入らない」だった。「なんか違う」。結局、「麻布」への合格者を毎年コンスタントに出している「日能研」への入塾を決めた。「麻布に沢山の合格者を出してないとあなたが行く意味はない」ことを理解させ・・・。四谷大塚が悪いわけでは決してなかったのだが、慣れ親しんだ同じ環境でそのまま、本格的な勉強を始めるより、心機一転、新たな環境で、目標に向かって突き進んだほうがいいのではと考えた。
実際、麻布への合格者の数が四谷大塚は、当時、一番少なかった。