あこままの中学受験奮闘記

長男、次男、それぞれが東の御三家、千葉の御三家に入学、今や、それぞれが新社会人、大学2年生に。小学校入学から決めていた中学受験へ向けての親子二人三脚の奮闘記

「兄へのコンプレックス、葛藤」

「同性の兄弟」だと、いろいろなことで、比較されてしまうことが多かった。親は気にしていなくても、周りは何かと言ったりする。その一言が言われた本人を大きく傷つけてしまうこともある。
次男の場合、学校も塾も「兄」と一緒だったがゆえに、いつも、どんなことも「兄」と比べられた。「お兄ちゃんはいい子、お勉強できるもんねえ、だから○○くん(次男の名前)もできるんだねえ」という言われ方を頻繁にされた。私は「あなたはあなた」とよく言っていたが、本人には、周りの声のほうが耳についたようである。
だから、日能研の4年の授業がスタートした時も、「お兄ちゃんと同じ麻布目指すの?」などと平気で言われた。次男も、この頃には「兄」の影響で、「麻布」のレベルを知っていたし、自分の力もなんとなくわかっていた。
こんな周囲の声でそれまでなかった「兄」への「コンプレックス」を持つようになる。


日能研も4年を迎え、「受験勉強」がスタート。この時点で、次男の「志望校」はまだ、明確になっていなかった。4年の春、長男の「麻布の初めての文化祭」に一緒に出掛けたが、ただただ楽しい思いはしたものの、「麻布」に固執するようなことはなかった。奇抜な「麻布生」に魅力を感じることもなかったようだ。

4年も「Rクラス」でスタート、受験勉強の開始としては、順調な滑り出しだった。校舎長も変わらなかったので、私自身も「安心」した気持ちで通わせていた。「ここに任せておけば大丈夫」と思っていた。
「家庭学習」も兄の時と全く同じように見ていた。
次男は「暗記」ものが苦手で、社理の暗記事項に苦戦、「紙に書きだした暗記事項」を「トイレ」の壁にはりまくる日々だった。「暗記事項」を声に出して言うように勧めた。
「算数」は得意だったが、「国語」がやや苦手で、「読解力」もさることながら、「漢字」、「同音異義語」等々を覚えるのも苦戦した。「本」は、割とよく読むようになっていたが、読書は基本的にあまり好きではなかったようだ。週末の「カリテ」もごく普通にこなしていたが、「間違い」を見直す「振り返り」を面倒がってあまりやらなかった。「間違いノート」の作成も結局しないままに終わった。塾でのお友達も増え、「日能研」は次男にとって、「楽しい場所」になっていた。成績順に変わる座席も、特にきにすることもあまりなく、クラスの子らを「ライバル」などと思うことはなかった。
「兄」と比べる記述になってしまうが、この辺が「兄」との決定的な「違い」だったように思う。「勉強量」が圧倒的に違った。嫌がるものを無理やりやらせても意味はないと思い、私もあまりうるさくはいわないようにしていた。「勉強しなさい」は、うるさいと感じるだけの言葉だとわかっていたので。


でも、「お兄ちゃん」と比較されてしまう以上、「同じようなレベルの中学」に合格させなければ、と常に考えていた。
それは、本人も同じで、「麻布みたいな学校」に受からなきゃ「兄」に馬鹿にされる、と考えていたようだ。
であるなら、「必死」に勉強しなきゃいけない、偏差値「60」以上の学校にはいらなきゃ、と次男なりのプレッシャーを感じていたようだ。4年当時、偏差値は「50代後半」を維持。「60」にはあと一歩だった。
次男は、「思い」と「現実」のなかで常に「葛藤」していた。