あこままの中学受験奮闘記

長男、次男、それぞれが東の御三家、千葉の御三家に入学、今や、それぞれが新社会人、大学2年生に。小学校入学から決めていた中学受験へ向けての親子二人三脚の奮闘記

2011年   第一志望校入試

千葉御三家の入試を終え、気持ちの切り替えも準備も整った。
これは、「練習」、「本番」前の「予行」・・・と言い聞かせ、いよいよ2月1日。
本命、第一志望の「早稲田中」入試。4年の秋の文化祭から思い続けて2年、志望校がぶれることはなかった。
自宅の最寄り駅から、東京メトロ東西線に直結しているので、早稲田駅までは、1本で4~50分。乗ってしまえば、眠っていても着く。登校はいたって簡単。便利だ。
当日朝、いつもの簡単な朝食を済ませ、いざ早稲田へ。電車は丁度ラッシュ時でかなり混んでいたが、なんとか空いた席に座り、グチャグチャ他愛もない会話をしながら過ごした。特に教材を見ることはさせなかった。
ここで、教材や参考書などを見てしまうと、万が一、「忘れてしまっていたこと」や、「わからないこと」に出会ってしまったときに当然「パニック」になってしまう・・・当日、しかも試験直前に焦ってしまうことほど精神衛生上よくないことはない。
だから、あえて「見直し」なんてしないほうがいいのである。

前日の夜、「日能研」の「カリテ」、「模試」の試験用紙の束をリビングで本人に見せた。山のように積まれた用紙を見せて、「ずっと、これだけ頑張ってきたんだよ、だから大丈夫、自信もって」と話した。
「そうだねえ、でも、市川しか受かってないからね」と珍しく、ネガティブな物言いをした。
「結構、きてるなあ、実際は」と思ったが、現実は「現実」として受け止めねばならない・・・だから、なぐさめや特に励ましの言葉等は何も言わずにいた。本人が一番よくわかっているのだから・・・。

早稲田駅」には、受験生がうようよいた。中学は、駅の出口を出るとすぐ。徒歩1、2分だ。正門前のいつもの「塾」関係者の声援を受け、校舎に。
「早稲田」は、なんといっても、入試の時間中、親は、早稲田大学大隈講堂裏にある「学食?」「カフェ?」にて無料で、「コーヒー」、「ケーキ」がいただける!素晴らしいサービス?至れり尽くせりなのである。
噂によると、これらのケーキは、なんと近くにある「リーがロイヤルホテル」のものだとか・・・(真相は定かではない)
私ももれなく、このけーきをいただいた。
多くのお母様方が、不安な表情で、それでも、ケーキを頬張っていた(笑)。

多少いただき、それでもまだまだ時間はあるので、ひとり、早稲田駅からかなり歩いた「VELOCE」で時間つぶしをした。(海浜幕張駅前と同じ)
受験期間中、長男の時も、次男の時もこの「VELOCE」は本当にお世話になった。ひとりで、入りやすく、リーズナブル、ゆっくりできる、といい事づくめ。
ここの「カフェラテ」を何杯飲んだことか・・・



時間つぶしをし、午前中で入試が終わった。
迎えに行くと、やや表情の暗い次男の姿をみた。ものすごく嫌な予感・・・、「東邦」の時とほぼ同じ感覚・・・。でも、いたって普通に、なるべく笑顔で、「お帰り!お疲れ様!」と息子を迎えた。

「はあ~~・・・ダメかもしんねえ」と次男。 「過去問と全然違ったよ」・・・。上手く言葉がみつからなかったので、特に反応することなく、帰途についた。


翌日に発表、早稲田は、3日に第二回目の入試も受けることになっていた。

2月2日は普通に学校に登校、特にどこの試験も予定になかった。4日に「芝中」の願書のみ出していた。

早稲田はネットではなく、あくまでも「掲示」での発表だった(現在はわからないが)。本人は学校に登校していたので、私が一人で見に行った。

正門を入ると、たくさんの親と受験生がいた。ざわざわ・・・。
校舎前に貼りだされた「合格者」の一覧に目をやった。
隅々まで・・・。
息子の
受験番号は見つからなかった。
早稲田1回目は、「不合格」だった・・・。


「どうやって伝えよう・・・」帰りの電車の中、そればかり考えた。


帰宅した息子に、事実を淡々と伝えた。「だめだったよ・・・」とそれだけ。
「やっぱねえ~~」「しょうがない」   自分で感覚的にわかっていたようだ。特にショックの様子もなく
「3日も同じじゃない?」と言い出した。返事はできなかった。


翌日、早稲田2回目の入試。
1日と同様、ラッシュの中、早稲田駅へ。
3日の入試は、1日に受験できなかったひと、または、1日が他の第一志望校受験(開成や麻布など)で、早稲田を第二志望としているひとが殺到するので、倍率も難易度も1日よりも高くなっていた。

だから、理屈で考えれば1日の入試で不合格だったので、3日の入試は、きつくなるのである。そんなことは本人がいちばん良くわかっている。
でも、特に何を言うでもなく、淡々と試験会場に入室していった。
試験中は1日と全く同様にすごした。学食でのケーキバイキング、コーヒー、そのあと、「VELOCE」へ。
大丈夫かなあとひたすら考え、迎えに行った。
息子からは、何のコメントもなかった。
これが、「全て」だった。

翌日、疲れ果てた息子に、「芝」を受けさせる気持ちにはならなかった。
息子も了承。
学校へ登校。「市川学園 市川中学」に進学を決めた。



次男の「中学受験」は終わった。


千葉御三家    市川学園  「合格」
         東邦大付属東邦中学  「不合格」
         渋谷教育学園幕張   「不合格」

早稲田中学    第1回目    「不合格」
         第2回目    「不合格」


    1勝4敗だった。


私にとっては、「大誤算」。
早稲田は、合格を信じ続けていた。


本人は、「敗北感」を強く感じてしまったようだが、「千葉の御三家」であること、「高い進学率」に自信を誇りを持って進学するよう伝えた。
ちなみに、日能研の同じクラスから、「市学」にひとり進学、同じ小学校からもひとり進学した。

日能研の「Rクラス」からは、近所の仲良しが、「開成」へ。もうひとり、中国籍の男子も「開成」へ。麻布はいなかった。渋幕には、結局、3人進学した。女子は桜陰と女子学院にひとりずつ、豊島岡にひとり進学。