あこままの中学受験奮闘記

長男、次男、それぞれが東の御三家、千葉の御三家に入学、今や、それぞれが新社会人、大学2年生に。小学校入学から決めていた中学受験へ向けての親子二人三脚の奮闘記

冬期講習から千葉御三家入試  

日能研最後の「冬期講習」。あと少しで千葉入試の本番。3年生から通い続けた「日能研」に「恩返し」できるかの瀬戸際だった。お正月は普通に過ごしたが、3日に湯島天神に出かけた。一応、「お参り」。プラス「護摩」を焚き、「祈祷」をしてもらった。これは、長男の時と全く同じである。

正月明けの日能研、誰がどこを受けるか、等々の話題でもちきりになったらしい。「Rクラス」の多くの子が、千葉御三家を3校とも受験していくのは、もうスタンダード。
我が家も早々に3校に願書を出した。千葉の学校は、地元ということもあって、小学校でも、受験する多くの子が試験を受けた。
入試会場で、何人かの知り合いに会うことになった。
1月は、「模試」ももはやなく、「過去問」の出来や、今までの模試の結果と、本人の「状態」で、総合的にいろいろ判断していくしかなかった。
次男の調子は早稲田に関しては「良好」、正直、「受かる」ことしか親子で考えていなかった。
市川、東邦の「過去問」も順調に解けていた。


次男の時も長男と同じように、小学校へは普通に登校させた。インフルエンザ予防接種はしておいたが、「罹ったら罹った時に」という心意気でいた。
このほうが、「生活リズム」が崩れず、絶対にいいと今でも思っている。
また、受験校まで、若干距離のある家庭では、試験前日に母親と本人が近くのホテルに宿泊したりするが、(まあ、雪が降る、電車が止まってしまう・・・などの理由ではしかたないが)これもやめるにこしたことはない、と思う。自宅ではないベッド、寝具でよく眠れるはずがないからである。「特別なこと」という意識が働き、余計に「緊張」すること間違いないのである。だから、前日は、消化の良い夕飯を作り、温かくして、ゆっくり休み、早起きをし、朝食を食べさせ、自分が「通うかもしれない通学路」で会場入りしたほうがいいに決まっている。合格した暁には、ひとりで毎日、「通う」のだから。


「いつもと違うこと」をしては絶対にいけないのである。この年、1月


2012年、1月20日。「市川学園 市川中学」入試。またもやあの「幕張メッセ」である。この日は忘れもしない、冷たい「雨」だった。メッセの会場前に沢山の「傘」の花が咲き、とても寒かった。
メッセ行きのバスを待つ長い列に、同じ小学校の知り合いを数人見つけ、手を挙げた次男は「談笑」していた。
「試験前、休み時間」に食べる「チョコ」を次男にも持たせた。
メッセ会場前に列を作る「塾」関係者。「日能研バッグ」を背負った次男に多くの日能研関係者が声をかけてくれた。「イベント」かのように受け止める次男は「満面笑み」で掛け声にこたえていた。長男と違い、かなりの「緊張」やの次男、この日は、さほど「緊張」はしていなかったように覚えている。

そう、「我関せず」の長男とは違い、次男は、「周りに影響されやすく」、本番」にすこぶる弱いのである。前日から、「どうしよどうしよ」となりがちで、落ち着きのなさが当日朝などにマックスになるのである。
隣の子の「鉛筆の音」を聞いて、「自分よりすごいできそう」と思い込んで、極度の緊張をしてしまう子なのである。
図太い長男とは違い、意外に「繊細」だったのかもしれない。

知り合いに会ったことでリラックスできたのか、次男は「いってきまあす!」と私の元を離れていった。

3時間ほどの時間を長男の時に過ごした「海浜幕張駅」近くのカフェで過ごした。適当に時間をつぶし、メッセ会場まで迎えに戻った。

「たぶん、大丈夫じゃね?」と次男がもどってきた。早めに帰宅し、翌日の「東邦」に備えた。



この日は、特に勉強もせずに、明日の入試に備えて早めに休ませた。
なんでも「いつも通り」が良い。

2012年1月21日、「東邦大付属東邦中学」入試。
最寄りの「大久保」駅からぞろぞろと受験生が長い列を作って歩いていた。昨日と同じ冷たい「雨」だった。
他愛ない会話をしながら歩いているとまたも、小学校の顔見知りに会った。特に何も話さずに学校へ向かった。雨の中、正門を入るとまたも、「塾」関係者が大きく声をかけてきた。
次男が通う校舎のスタッフはこの時はいなかった。
受験番号を確認し、校舎に消えていった。
試験中、学校の学生食堂が解放されていたので、この時は「雨」も降っていたので、学食のなかでお茶を飲みながら時間を待った。
試験終了後、校舎から出てきた次男の表情は、ややこわばり気味。「やばいかなあ」・・・とわずかに思った。
帰途につく中、次男は試験のことを一切話さなかった。私も何も聞かずにいた。

帰宅すると、昨日の「市川」の結果が出た。
まずは、「ネット」で。
何回経験しても、「ENTER」キーを押す瞬間はドキドキだ。

「受験番号」を入力し、「ENTER」を。
『合格』だった。


私も、本人もほっとした。
急いで、市川学園に、書類を取りに向かった。
掲示板の番号を改めて確認し、事務所で入学手続きの書類を受け取った。
「これでひとまず安心」と胸をなでおろした。


翌日は千葉御三家最後の「渋幕」。一番の「難敵」が控えていた。

この日も「合格」を得て安心したものの、なにもせずに就寝した。


2012年1月22日。「渋谷教育学園幕張中」の入試。
長男の時の「上履き忘れもの」の失敗があったので、「持ち物」の点検だけは念入りにし、学校へ向かった。この日も3日目の「雨」。「涙」のようで、いやだった。
正門から校舎までの短いアプローチに、沢山の傘が溢れ、受験生がいっぱいだった。
やや緊張気味の次男は、在校生に案内され、校舎へと消えていった。

また、「海浜幕張」駅前のカフェで時間つぶし。長男の受験時から何度となく通った「VELOCE」。
大好きなカフェラテを飲みながら次男の入試に思いを馳せた。
昨日の「東邦」の結果を案じながら、音楽を聴いてひとりゆっくりと過ごした。


昼前に終わった。
校舎から出てきた次男は、がっくり。「全然できねえ」が開口一番だった。「感想」は何も言わず、近くの飲食店で、昼食を済ませ、帰宅した。

午後1時頃、「東邦」の結果がでた。
同じく「ネット」。
次男の「受験番号」は見つけられなかった。「不合格」。
胸がざわざわした。「ダメだったかあ」という言葉だけで、顔を見合わせた。親の私は正直、にわかには信じられなかった。


翌日から、普通に学校に登校。

私は、ひとり、「東邦中」に出向き、掲示板を確認しに行った。それくらい、「合格してるはず」と、内心いつまでも思っていた。
広範囲に張られた合格者の番号。何度も何度も確認した。「補欠合格」の番号も。

なかった・・・「不合格」は現実だった・・・。胸がしめつけられそうになった。「なんて言えばいいんだろう」・・・そればかり、考えた。帰途、「日能研」に立ち寄って結果の報告をした。「そうでしたかあ・・・」と、やはり、信じられない表情で、スタッフたちは、「早稲田に受かればそれでいいんです」と言った。正直、内心、東邦に合格できずに、早稲田に受かれるの?という思いがよぎっていた。

ひとり、自宅で昼食を済ませ、「渋幕」の結果発表。こちらは、さすがに「超難関」なので、「合格」の可能性は低いかなあと、夫婦で考えていた。
ネットを開くと、番号はなかった。仕方ない・・・あくまでも、予想していた結果だったので、正直、驚くこともなく、渋幕へ確認に行くこともしなかった。
千葉御三家   「1勝2敗」。
特に「東邦」の結果は、親子それぞれの「大誤算」だった。

帰宅した次男は「渋幕」の結果には「案の定」という反応で、ダメージはほとんどなかった。約1週間後の本命・「早稲田」への切り替えにも問題は何もなかった。

千葉の入試が終わり、合格した「市川」に入学金を納めた。