あこままの中学受験奮闘記

長男、次男、それぞれが東の御三家、千葉の御三家に入学、今や、それぞれが新社会人、大学2年生に。小学校入学から決めていた中学受験へ向けての親子二人三脚の奮闘記

2009年1月   千葉御三家入試本番!!

いよいよ年が明け、2009年。大晦日、元日は冬期講習も唯一お休みだったので、例年通り過ごし、私の実家へと出かけた。お正月くらいはね・・・と言いながら、勉強も一休み、ゆっくり過ごした。が、もう2日からは講習再開だった。
学校では、クラスに男子ひとり、女子二人の中学受験者がいた。特に気にする様子もなく、お互いにどこを受験するかも全くわからずにいた。
1月20日から千葉の私立御三家の入試が連日開始する。お正月明けから、そこに向けて最後の調整。この3つはなんとしても押さえたい、学校だった。3校とも、難関だったが、ここを通過しないと麻布なんて始まらない。
模試では、渋幕以外は、合格75%を出していた。
正直、特に対策もせず、赤本、過去問も解かないままだった。


1月20日。「市川学園」入試。息子にとっての1発目。
幕張メッセのだだっ広いホールでの入試。広いので、毎年かなり寒いと聞いていたので、「カイロ」を持たせ、早めに会場に着いた。トイレの場所の確認や、持ち物確認の時間を余裕をもって出かけた。

メッセの前に沢山の「塾」関係者が「応援」に来てくれていた。すぐわかるように、入試には、「日能研バッグ」を背負って出かけた。「日能研」のスタッフが笑顔で出迎えてくれた。「集中!大丈夫だからね」と声高く声援を浴びせてくれた。スタッフと握手を交わして試験会場に入っていった。受験番号でホール番号を確認し、受験会場に消えていった。多くの親は、同じ階にある「控室」専用の大きなホールでまっていたが、私は、「海浜幕張駅」近くのカフェで、コーヒーをゆっくり飲みながら、時間をつぶした。あっという間に、時間は流れ、午前中いっぱいでの試験が終わった。
会場に迎えに行くと、「楽勝!」と息子がでてきた。その日の夕方、「答え合わせ」のために日能研に出かけ、「絶対大丈夫」と、帰宅した。翌日も「東邦」の入試が控えていた。

このころになると、インフルエンザが学校で流行ったり、風邪をひくと大変だからと、小学校を休ませる家庭も多いが、我が家は一日も休ませず、普通に学校へ登校させた。学校に行った方が規則正しく生活でき、生活のリズムも崩れないので休まない方が賢明だと私は思う。日能研の校舎長もそういっていた。インフルになったらその時はその時。風邪くらいなら、試験は受けられる。と思っていた。実際、体調の変化、崩れなど何もなかった。

1月21日。「東邦大学付属東邦中学」入試。京成線、大久保駅からぞろぞろと受験者の列ができ、学校のクラスの子の姿もあった。「いってらっしゃい」と息子を見送り、1階の学生食堂で終了をまった。日能研の同じクラスの子のお母さまに出くわしたが挨拶をかわしただけで言葉は交わさなかった。入試にはお友達と一緒に行く子もいたが、息子はなぜかそれを嫌い、私と二人で出かけた。大勢で「群れる」のを嫌う子だった。
「市川」の時と同じ表情で、教室を出てきた。
家に帰宅すると、昨日の「市川」の「結果」が出ていた。ネットで確認、  『合格』。ほっとした。すぐに「日能研」に連絡、結果報告をした。塾では、事前に各々の受験番号を提出、塾側でも早々に合否は確認、校舎長は、連絡を待たずして、結果を知っていた。一応、「合格手続き書類」を「市川」までもらいに出かけた。この時初めて、「市川学園」に出かけた。校舎にも「合格発表」の掲示がされていて、ネットではなく、実際に親子で見にきている子らもたくさんいた。一応、「掲示板」の「番号」を再確認し、窓口へ行った。「おめでとうございます」と事務の方に言われ、書類を受け取った。ネットよりも「掲示」のほうが、「実感」がわいた。
書類を受け取り帰宅。地元とは言え、約1時間かかった。雨が降り出していた。翌日に「渋幕」の入試が待っていた。



1月22日。「渋谷教育学園幕張」入試。昨夜からの雨降り。嫌なお天気。「渋幕」の前にも変わらず塾のスタッフ。正門から校舎まで伸びるアプローチに、たくさんのひとが並んでいた。冷たい雨が降り、傘の花がたくさん咲く中、息子が「やべえ、上履き忘れた」とつぶやいた。「え!?」嫌な胸騒ぎ、なんで、こんな時に忘れ物!と言っても取りに帰れるわけでもなく、仕方がないので、入試のお手伝いをしていた「在校生」の女子に、事情を話すよう伝えた。息子もかなり焦っていたが、「では、靴のまま」と言われ、教室に入っていった。「出だし悪いわあ」と思いながら息子を見送った。こんな時、親の私までもが、焦ったり、叱ったりしてしまうと、息子の「緊張」は、マックスになってしまうので、平静を装い、私が聞いてやるのではなく自分で在校生に聞くよう話した。在校生に「大丈夫」と言われただけで、妙に安心し、平静を取り戻したようだった。「自分のことは、自分で」。強くなければ入試なんて勝ち抜けないのだ。



試験中、またも、海浜幕張駅まで歩いて、カフェでゆっくりと過ごした。息子の試験の出来不出来を案ずるよりもくつろぐことが重要だ。
試験が終わり、迎えに行くと、この日は「冴えない表情」で出てきた。やっぱり、難しかったな・・・と思った。開口一番、「ダメかもしんない・・」と、珍しく弱気なことを口にした。
帰宅すると、昨日の「東邦」の結果がでた。『合格」。


翌日、東邦に、書類をとりにいった。一応、書類はもらっておかないと、都内の入試までの「押さえ」がなくなる。期日までに、どこか1校、入学金を納入しておかねばならなかった。「安心」である。この日は、確か土曜日で、夫と本人と三人で出かけた。また、掲示板を確認し、帰り際、大久保にあるあの「らーめん二郎」にて、キャベツともやしがこれでもかと盛られた「二郎」の「ラーメン」を初めて食べ、帰宅した。


「渋幕」の結果が出た。「不合格」だった。やっぱり・・・。上履きの忘れ物から始まり、試験後の表情といい、嫌な予感、は的中してしまった。「まずいかも・・・」と、内心思ったが、本人は、いたって冷静。「渋幕は「クソ問」が多いから落ちてもいいんだよ。おれは、渋幕なんていかねえから」。
強気な物言いだったが、落ち込んでいなくてほっとした。(本心は不明だが)
日能研の校舎長から、「渋幕の2次試験を受けるように」と連絡をもらった。1次がだめだったのに、もっと難易度が高くなる2次なんて受かりっこないじゃない!と思った。試験は2月2日。麻布の翌日だ。
校舎長の真意はわからなかったが、ぎりぎりで「願書」を出した。
渋幕のショックを引きずりながら、都内の入試に向かうのはしんどいので、ああは言っても、ショックをうけたに違いない息子の心を立て直すよう努めようとした。


こうして、長男の「千葉御三家入試」は、2勝1敗で幕を閉じた。
さいよいよ本番!!1週間後は「麻布」本番!!
負けられない!!