あこままの中学受験奮闘記

長男、次男、それぞれが東の御三家、千葉の御三家に入学、今や、それぞれが新社会人、大学2年生に。小学校入学から決めていた中学受験へ向けての親子二人三脚の奮闘記

二回目  「次男」の中学受験

我が家の「次男」は、長男よりも3歳年下。
騒がしかった長男とはまるで違い、赤ちゃんのころは、とても穏やかで、静かな子だった。「次男」のせいか、育児にも若干慣れ、長男の時よりは「手抜き」も覚え、割と気楽に育児していた。公園で、一生懸命にママ友を作ろうともせず、自分のペースで、日々過ごしていたように感じる。
満2歳を迎えた頃、長男の水ぼうそうがうつり、高熱をだした。その時、「熱性けいれん」を起こした。抱っこしていた腕の中で、意識の遠のく表情、だらんと下がる首。すぐに、「けいれん」と気づき、床の座布団に次男を寝かせ、衣服を緩めた。口の中には何も入れない方が賢明と、何かの育児書で読んだことを思い出し、すぐに救急車を呼んだ。救急車が来るまでの間、次男の横で、「大丈夫?」と、次男をさする長男。
救急搬送され、病院についたころにはけいれんはおさまり、けいれん止めの注射を打ってもらって、帰宅。
もともと、次男を「妊娠」した時は、「双子」だった。が、妊娠5か月頃に、片方の卵を吸収、ひとつになった受精卵が次男になり生まれてきた。だから、「生命力が強い」と言われて育ってきた。




なんでも長男の時と全く同じようにした。幼少期の「しまじろう」も同様。幼稚園も同じ。幼稚園にもすぐに馴染み、お友達もたくさんできた。二人目で、「園」のこともよく知っているという理由で、園の役員を兼任。園と密接に過ごした幼稚園時代だった。習い事も「お絵描き」のみ。幼稚園の年長から、四ツ谷大塚の「リトルスクール」に通わせた。「Sクラス」にはならなかったが、日々、楽しく、「リトル」の授業を受けていた。
私も同じように、日々の家庭学習のサポートをしていた。長男の経験から、「リトル」の授業が、大変意味、意義のあるものだと思い、入塾させた。「考える力」を養うにはベストな場所だと信じていた。

若干、「文字」が雑だったので、「しっかりていねいに書こう」をしつこく言い聞かせた。次男の「特徴」は、「計算力」の速さ。「そろばん」等、習わせたこともなかったが、計算が圧倒的に早く、間違いがなかった。



「読み聞かせ」などは、あまり食いついてくることもなく、「読書」はあまり好きではなかった。
それでも、私は「感想」を聞いたり、「会話」を多くもつよう心掛けた。母との「会話」は本当に大事だ。我が家は二人とも息子だが、よく言われる「男の子はしゃべらない」ということはなく、むしろ、「おしゃべり」な二人だった。あまりしつこくない程度によく話しかけるよう心掛けていた。
会話の中で、「どうしてそうなったんだろうね?」「あなたはどうおもった?」と考えさせ、質問していた。「きちんと答えてね」と、自分の言葉で話せるよう、考えさせた。

「わかりやすく」「だれが、なにがどうした」と、主語述語をきちんと話させた。これは、机上の勉強よりもはるかに国語力を鍛える訓練だと思う。

小学校に入学、4年に長男がいた。持ち前の明るさでお友達を沢山作った。