あこままの中学受験奮闘記

長男、次男、それぞれが東の御三家、千葉の御三家に入学、今や、それぞれが新社会人、大学2年生に。小学校入学から決めていた中学受験へ向けての親子二人三脚の奮闘記

「運命の学校」にちゃんと進学できるもの

いろいろ綴ってきたけれど、結局は、中学受験、子供は、「その子に合った、その子にとっての一番の運命の学校」に進学できるようになっていると深く思う。
もちろん、忠実に、真面目に勉強することは大前提だけれど、「思い」が強ければ、必然的に「思う学校」へ向けた勉強をするし、その中で、学力もつき、自然にその学校へ近づくもの。

世間がいくら「いい学校」と言っても、その子に合わない学校だったら、6年間は「なんとなく過ぎる時間」にしかならない気がする。私立は、それぞれ「個性」があるから、なおさらだ。
子供は無意識に、自分でちゃんと「自分の肌に合う学校」を探し当てているんだと思う。
わが家の二人の息子もそうだ。長男は早くから「麻布」に「自分の居場所」を見つけていたんだと思う。「他者への無関心」、「自分は自分」、「個性のある子の尊重」が、幼児期からあった。
それらは、実に、「麻布生」の特徴だ。だからこそ、小3の春という早い時期に出かけた「文化祭」で、自分の肌に合う「何か」をキャッチし、「麻布」に「執着」できたんだと思う。
それとは違い、次男は、いつまでも志望校が決まらず、「行きたい学校」が定まらなかった。でも、社交的で、男女に人気者だった彼は、「共学」の市学に進学し、兄へのコンプレックスをもちながらも市学のなかで、活発に自由に輝き、母校が大好きになり、プライドを持てるようになった。


「校風」には、いろいろなものに書かれている評判とはもちろん差異がある。通わなくてはわからない沢山の真実がある。
「偏差値」や「世間の評判」は、受験時一瞬のもの。
結果的に「その子に合ったその子にとっての一番の学校」に通えれば、それが「幸せ」だ。
神様は見ている。頑張った子への「ご褒美」は、「その子に合った、その子が幸せに暮らせる運命の学校」をちゃあんと用意してくれている。「受かった学校」が、「運命の学校」だと私は信じている。