あこままの中学受験奮闘記

長男、次男、それぞれが東の御三家、千葉の御三家に入学、今や、それぞれが新社会人、大学2年生に。小学校入学から決めていた中学受験へ向けての親子二人三脚の奮闘記

「栄冠への道」   合格体験記

今日は2月4日。都内の中学入試もひと段落し、-合格発表も終わりつつある時期なんだろう。
私も12年前、9年前に息子たちとともに体験してきた。今年もいろんな笑顔や涙が溢れているんだろう。
12年前、麻布合格を手にした長男の塾の塾長から、合格体験記を書くよう頼まれた。その時のほかほかの気持ちを綴った。

以下、その時の「合格体験記」


「栄冠への道」

その日、その場面だけを想像して、夢見て、数年間、ただただ目標に向かって歩んできた。
憧れ続けた学校の合格発表。番号を見つけた瞬間、人目もはばからず、親子で抱き合い、泣いてしまった。
夢みたいで実感が全くわかなかった。

6年の1年間は苦しかった。夏休み、苦手の算数を克服するのが彼の課題だった。
典型問題のプリントを何度も何度も解き続けた。
夏が明けたテストでは成果が現れなかった。
「こんなに頑張っているのに点がとれない」そばで見ていて辛かった。
そんな状態を本人も含めて算数の先生に相談。先生が親身に息子の気持ちを読み取り、自信を失いクタクタになっていた彼の心を解きほぐしてくれた。
プライドの高い息子に・・・「自信を持とう。合格が君の本当のプライドだ」と。

その日から点数にこだわらず、自分のやるべきことを見極め、着実に丁寧に学習を進めていった。
点が、偏差が安定してきたのは年末。



2009年2月1日。入試当日、行きの地下鉄の中で、ずっと親子でお喋りし続けた。
受験には全く関係のない話。

試験を終えた息子は、ニコニコしながらピースサインをして私の元へ歩んできた。大丈夫かも・・・と感じた。
「手ごたえありだよ」という彼の、息子の笑顔を信じようと思った。
そして、発表。勝ち取った「栄冠」。
「合格をいただきました」と主人と塾長に連絡をした。


子供なりに、沢山のことを我慢し、いろいろなことを犠牲にしてただただ目標に向かって頑張ってきた。
我が子じゃないみたいにさえ感じる、たくましい息子をひたすら誇りに感じた。
素晴らしい友を作り、ワクワクできる日々を過ごし、「この学校に来てよかった」と思える6年間にしてほしいと心から願います。
今は辛かったこともいい思い出。


塾から帰宅すると、空のお弁当箱を手に必ず言ってくれた言葉。「ママも大変なのに美味しいお弁当をいつもありがとう」


合格の夜、主人と私に改めて言ってくれた言葉。「今までありがとうございました」。

合格を得て、いま、息子は本当の「プライド」を手にいれました。
日能研の皆様に深く感謝です。




これが体験記になります。


12年も前の話だけれど、目の前にはっきりといまだにこの時の情景が浮かんできます。
麻布に進学できて、息子は一生の友を得て、いまだに仲良く付き合っています。学校は本当に自由で、校則も制服もない生活を6年間していました。
1年間に唯一麻布生がハチャメチャにはじける文化祭で、わが家の長男ももれなく金髪に髪を一日だけ染めました。何の意味があるか、いまだにわからない染髪。
「限りない自由に伴う自己責任の大変さ」を身をもって知り、6年間で大きく成長。『麻布の常識は世間の非常識』と皆が笑って語る校風の中で、何ものにも、変えがたいいろんなことを体に染み込ませ、『大人』にしてくれた麻布学園にしみじみ感謝。
素敵な仲間とママともにも大きく感謝。
大好きな誇り高き息子の母校。
頑張って良かった、といま、親子で思える。

2021年も開始、2/1に思うこと

このブログも更新するのをずいぶん怠けてしまって、コロナコロナで過ぎた2020年もいつの間にか、あっという間に終わってしまい、ずいぶん久々に長男が浜松から帰省し、コロナ禍のお正月も終わり、これまたあっという間に2月を迎えてしまった。本当に時の流れははやいものである。
気づけば2/1,都内の私立中学入試のスタートのニュースを懐かしく観た。長男の中学入試からおよそ12年、次男の中学入試から9年。
コロナ禍で、「感染対策」が重要視され、入試会場にいる学校関係者は軒並み、二重にマスクをしていた。布、ウレタンよりも不織布・・・のほうが飛沫を防止できるらしく、不織布の上に見栄えのいいウレタンマスクをしている関係者、保護者が多かった。
きっと塾にも行けず、学校生活もままならぬ中で、今年は本当にいろいろな面でたいへんな入試になったに違いない。


今日はきっと「結果」の発表が合ったりするのだろう。親子共々落ち着かない数日。


「子育て」のなかでの「中学入試」なんて、親子にとって、ほんのわずかの1ページ、一瞬に過ぎない。でも、長男は社会人3年目、次男は大学4年を迎えるこの春、ほぼ私の「子育て」は終了したなあと感慨深くなるこの頃、昨日の入試のニュースを見た時、なんとなく胸が熱くなるのはなぜなんだろうか。我が子の受験日を思い出し、共に、泣いたり、喜んだりしたことを懐かしく思い、今はすっかり成長し、成人したふたりを思うと、後にも先にもないあの「密時」は、本当に唯一無二で、素晴らしき絆の時間だったと感じるのである。「息子」なんて、中学生以降、どんどん、それはもう、すごいスピードで、親離れしていく。
こちらの「子離れ」を全く待たずに・・幸い、うちの息子たちはいまだに私との会話も嫌がらず、たくさんなんでも話してくれるが、話さない子は、本当に何もわからないらしい。だから、いまとなっては、あの「苛酷」な「厳しすぎる」数年間は、母と息子が一体になって、ひとつの目標に向かって共に二人三脚していける唯一の貴重な時間なのである。だからこそ、「今」を大事にしていただきたい。特に「息子」のお母さまたちには。
その目標が「桜咲く」になった時には一層の喜びと充実感に抱かれる。
自分の息子と自分に大きな誇りを持ち、成長していく息子をまぶしく感じる。
頑張れ、受験生。そして、「中学受験性のママさんたち、お疲れ様」と大きな声で言いたい。

次男の現在、その後

世の中、今年、2020年新年から「新型コロナウイルス」の感染流行で、世界中が都市封鎖=ロックダウンやら、医療崩壊・・・でパンデミックになり、日本ももれなく、「緊急事態宣言」が発令され、「自粛生活」を余儀なくされた。現在、大学3年になった次男も3年になってからは一度も大学には行けず、「オンライン授業」で講義を聴いている。
ただ、今の若者は「楽しみ方」を上手に探すもんで、「オンライン飲み会」や、「オンラインゲーム」で、友人たちとはちゃんと繋がり、外に出られないストレスはたまっても、ちゃんと「家」で楽しんでいる模様。
飲食業のバイトも時間が減り、当然、バイト収入も激減。遊びに出かけないので、あまり使う時間もないのであるが、なかなかの苦しい経済状況である。
「コロナ倒産」も相次ぎ、企業もお給料が減ったり…と、影響は様々。本来は、大学4年になる来年、そして3年の今年も「就活」を始める時期なのであるが、このコロナの影響で、経済界は、相当な不況・・・で、新入社員の採用を来年も再来年も見送る企業も多いという。つまり、「就職難」が予想されるのである。そこで、次男は「大学院」への道を模索し始めた。
もともと、いまどきの「理系」の学生は、大学院に進学するのが大方主流らしく、院で、技術力をつけ、「院卒」という肩書を武器に企業への就職を決めていくらしい。私の兄の息子=甥も、大学院へ進学、昨年春にNTT東日本に技術者部門で就職を果たした。彼も中高大学と私立で進んだので、院は、「奨学金」で・・・。今も返済に追われているようだ。
でも、大学院卒のおかげで希望の就職先に合格できたのも事実なのである。我が家の次男も、大学院進学となれば、父親である夫は大学4年時で「定年」を迎えるので(その先、関連会社等々に再雇用されるはずではあるが、収入は激減する)、次男も「奨学金」で大学院での2年間をすごすことになる。そのつもりでの進学予定であるようだ。
が、現在、次男が在籍する東京理科大は、私立大学で、当然、授業料が高い。入学金も再度発生するし、かなりの額が必要になることは間違いないだろう。よく、ニュースなどでもやっているが、どこかに就職したとして、数年間いやそれ以上、この「奨学金」の返済に自分のお給料をあてがっていくのは大丈夫なんだろうか・・・と心配になってくる。そういう学生はやまのようにいるんだろうけれども、恵まれた生ぬるい環境でずっと育ってきた息子に果たしてそんな生活ができるんだろうか・・・と思ってしまうのである・・・。

まもなく入試、今、できること

新年もあっという間に半ばを過ぎ、中学入試も本番間近。千葉や茨城では、既に本番を迎えている。変わりなければ千葉御三家の入試は20日の市学を皮切りに連日行われる。
さて、入試も本番を控えたいま、やるべきこと、できることは一体何なのか。
それは、ひとつ。「本番を、第一志望校の入試当日を、ベストな体調で迎えられるようにすること」たった1点だけである。当日、発熱したり、下痢したり、そういうことが起きてしまったら、3年もしくはそれ以上の中学受験勉強に費やしてきた月日、子供の努力、犠牲…すべてが無駄になる。じゃあどうするか。インフルエンザに感染しないように小学校を休む、どんな菌をもっているかわからないから、友達と遊ばない。・・・とやりがちだが、果たしてそうなんだろうか?
わが家は二人ともこの時期もごく普通に学校に行き、普通に暮らした。
絶対にそのほうが良いと今でも思っている。「規則正しく過ごせる」から。そのほうが体調は崩れず、逆に風邪もひかない。勉強は、適当に、苦手な点の見直しくらいを気楽にやっていればよいと思う。いまさら、必死に過去問を解いたりなんてしないほうが賢明。だって、この時期に、もし、6割はおろか、合格点に及ばない点数を仮にだしたら、本人は自信を失い、途方に暮れるだけ。塾ももはやお休みになっているし、自宅で、気楽に間違いノート(作っていたなら・・・の話)でも見直ししていればいいのである。
母親としては、加湿をきにしたり、消化が良く、体力のつく食事を用意し、身体を冷やさぬように気を付け、家族もごく普通に過ごすことが大事。
他愛ない会話をし、穏やかに過ごせる環境づくりがいちばん大事。
母親も入試本番に体調をくずすことがないように、要注意。
入試本番前夜も「早く寝なさい」など、いちいち言わず、本人のペースで就寝させる。
当日は、心配しなくとも早く起きてくる。軽食を食べさせ、持ち物のチェックだけはきちんとし、出掛けよう。お弁当持参の場合は消化のよいもの、食べ慣れているものを詰めよう。
さあ、あとわずか、規則正しく生活していこう!!余計なことは言わない!!

「運命の学校」にちゃんと進学できるもの

いろいろ綴ってきたけれど、結局は、中学受験、子供は、「その子に合った、その子にとっての一番の運命の学校」に進学できるようになっていると深く思う。
もちろん、忠実に、真面目に勉強することは大前提だけれど、「思い」が強ければ、必然的に「思う学校」へ向けた勉強をするし、その中で、学力もつき、自然にその学校へ近づくもの。

世間がいくら「いい学校」と言っても、その子に合わない学校だったら、6年間は「なんとなく過ぎる時間」にしかならない気がする。私立は、それぞれ「個性」があるから、なおさらだ。
子供は無意識に、自分でちゃんと「自分の肌に合う学校」を探し当てているんだと思う。
わが家の二人の息子もそうだ。長男は早くから「麻布」に「自分の居場所」を見つけていたんだと思う。「他者への無関心」、「自分は自分」、「個性のある子の尊重」が、幼児期からあった。
それらは、実に、「麻布生」の特徴だ。だからこそ、小3の春という早い時期に出かけた「文化祭」で、自分の肌に合う「何か」をキャッチし、「麻布」に「執着」できたんだと思う。
それとは違い、次男は、いつまでも志望校が決まらず、「行きたい学校」が定まらなかった。でも、社交的で、男女に人気者だった彼は、「共学」の市学に進学し、兄へのコンプレックスをもちながらも市学のなかで、活発に自由に輝き、母校が大好きになり、プライドを持てるようになった。


「校風」には、いろいろなものに書かれている評判とはもちろん差異がある。通わなくてはわからない沢山の真実がある。
「偏差値」や「世間の評判」は、受験時一瞬のもの。
結果的に「その子に合ったその子にとっての一番の学校」に通えれば、それが「幸せ」だ。
神様は見ている。頑張った子への「ご褒美」は、「その子に合った、その子が幸せに暮らせる運命の学校」をちゃあんと用意してくれている。「受かった学校」が、「運命の学校」だと私は信じている。

長男の言葉「中学受験、あれは、ほとんどお母さんの力だね」

この春から新社会人になった長男は、現在、研修中で、静岡の浜松にいる。独身寮で一人暮らし(?)を満喫中。生まれてから一度も親元を離れたことがなかったので、親の私の方が「子離れ」できそうにないかとおもっていたが、意外にや、いない生活にもすぐに「慣れ」、お互いに快適に暮らしている。
寮なので、食事も用意されるし、個室で、お風呂もエアコンもついていて、至れり尽くせり。


先週末、三連休に帰ってきた。浜松は「いなか」で、なんにもできない、なんにもない・・という話になり、結婚でもしたら、やっぱり、都内に住んで、子供は「私立」に行かせたいという話になった。
「公立」で、良い成績とって、「国公立大」に進学するのが親孝行だよ・・・と話したら、「中高一貫校」には、それなりの「良さ」があるんだという話になった。
「でも、中学受験は大変だよ。小学校受験はもっと大変だし・・・」と話したら、「中学受験、あれは、ほとんどお母さんの力だね」と言った。


「お母さんがいろいろやってくれなきゃ受かんないよ」。
「いやあ、あなたがものすごく頑張ったんでしょ」
「そうだけど、頑張らせるのは、ほとんど母親の力だから・・・」という会話になった。だから、自分は、中学受験等で、頑張れる女性と結婚したいんだとか・・・。なるほど・・・。
なんだか褒められてる気がして気分が良かった。

わかっててくれたんだね・・・。大人になった今だからわかったのかもしれないけど・・・。
こんな言葉を言われると救われる。苦しいだけの「中学受験」の思い出をこんなふうに思い、言ってくれたなら、母親としては、正直、嬉しくなる。間違っていなかった・・・っておもえたりする。


帰ってきてもほとんど家にはいない。
連休中も、麻布時代の友人たちと酔いつぶれて帰宅した。
一生の仲間。青春時代の本当に大切な友人たち。彼らに出会えただけでも「中学受験」の意味はあったね・・・。「良質な友」に出会えて感謝・・・。

自覚に任せた受験勉強(ゲームとのジレンマ)

最近、身の周りの知り合いで、小6のお母さまがいて、勉強と、「ゲーム」の関連性について、聞かれた。
その方のお子さんは公立中に進学するのだが、最近は、ゲームばかりで、どうやって勉強に集中させたらよいか大変だ、とおっしゃっていた。
そうか・・・、そんな年頃だな・・・と、懐かしく思いながら、ふと、振り返ってみた。
わが家の二人の息子ももれなく、「ゲーム」に夢中な時期があった。そして、タイミング悪く、その時期は、中学受験の勉強時期と重なっていた。でも、「時間」を決めたり、「ゲームをしちゃいけない」「勉強しなさい」と声を大にして言ったことは、本当に一度もない。二人共・・・だ。
明らかにゲームに夢中になり、勉強しない時間があったことは確かだ。でも、放っておいた。言えば言うほど、ゲームがしたくなるのはわかっていた。勉強に支障が出て、困るのは自分だ。そして、それは、週末の「カリテ」や模試の結果に如実に現れる。母親がうるさくいわなくても本人にはすぐにわかる。「痛い思い」を実感するのは「本人」。ゲームしちゃったから、こんなになった・・・なんていうのは、よほどおバカでない限り、絶対にわかる。

だから、私や夫からはいちいち言わずにいた。

「勉強しなさい」もしかり。
「いま、やろうと思ってたんだよ」「いちいちうるさいなあ、これからやるんだよ」が常套句。
下手にイライラさせる方がマイナス。イライラして勉強に身が入るわけがない。
小学生も高学年になると、「やるべきこと」は絶対にわかっている。だから、自然に自分から机に向かう・・・。逆に、自分から勉強できない子は、成績アップなんて望めない・・・と私は思っている。
「過保護」にいいことはない。「自覚」を持たなければ成績もあがらないし、志望校にも受からない・・・反抗期に差し掛かった我が子にとって、「母親」の「一言」ほど、「うざったい」ものはない・・・。私は、中学受験の時も、大学受験の時も、「勉強しなさい」、「スマホをしまいなさい」の言葉は発していない。「放任」が子供を一番強くするし、やる気にさせる。これは真実だ・・・。